専門に分かれてから初めての Specialisation の科目、「欧州統合の発展」の講義は、レクチャーとセミナーに分かれており、今学期いちばん重たい科目である。
80人程度と、3つの Specialisation の中で最も人数が多く割り振りされる専門分野である。
講義とセミナーの内容
6週目が終わり、ちょうど前期の半分が消化されたところだ。
講義
講義は月曜の朝8時から、ドナウ川のむこうの離れた場所の最新のキャンパス(Gellért キャンパス)で開催ということ、出席は取らないということで、生徒がどんどん減っている。
講師側としても、ここのキャンパスの部屋を抑えるつもりはなかったのだが、どうしてもCビルディングの部屋が取れなかったそうだ。
講義中は基本的に講師が90分間、欧州統合についての経緯を話しているのを聞いてるだけだが、冒頭の写真でわかるように、個別の座席タイプで、右手側におちょこを置くのに丁度いい可動式テーブルがあるだけなので、ノートが取りにくい。
Cビルディングも講堂の座席付属の小テーブルでは、ノートが本当に書きにくい。
いちばん古いEビルディングの講堂は、固定式のテーブル付属で一番ノートが取りやすい。
残念ながら、今期はEビルディングでの講義はない。
最近特に目にすることが増えてきたのが、欧州史には良く仏語がそのまま歴史用語になったものが散見される。
講義中これを言われると全く聞き取れないし、スペルが書けない。
そしてスペルが覚えられない。
例えば、Détente(デタント)、Pieds-noirs(ピエ・ノワール)
うーん。
セミナー
セミナーは80人が3つのクラスへ分けられて各々実施されている。
私が参加する授業は、火曜の朝8時からで、他に2つの日程は履修登録をしようとした時点で埋まっており、この時間しか空きがなかった。
小テスト、生徒のプレゼンテーション、グループワークで大体構成される。
こちらも朝イチということで、皆さんの出席率はよろしくないが、毎回ある小テストは、(合計11回)6回パスできなければ、期末試験の受験資格が得られないという恐ろしいシステムがある。
テスト内容は前週の講義内容、生徒のプレゼン内容、毎週の Mandatory リーディング から出題される。
6週終了時点で5回受けた結果は以下。(毎回5問で3問以上正答でパス扱い)
第1週:初週のためテストなし
第2週:3/5 点(Kahoot! による選択問題)
第3週:2/5 点(Kahoot! による選択問題)
第4週:記述のため結果未受領
第5週:記述のため結果未受領
第6週:4/5 点(Kahoot! による選択問題)
Kahoot! で実施されると、知識どうこう以前にアジリティが要求されるので、はっきりいって私向きではない。問題文・選択肢の英語を読んでるだけで終わることもある。
記述式は、問題自体の難易度が上がるが、時間的余裕があるので、こちらの方が私に向いている。
次回のセミナーで記述式が返却されるそうだ。くわばらくわばら。
そして次回は私のプレゼンの出番。
生徒のプレゼンが終わり、余った残り10分とかをグループワークという名目で、「この表の各項目について調べて埋めなさい」というようなタスクが与えられるが、そんな場合は時間が短すぎて埋めるのは不可能である。
なので、ハナから諦めて、授業外で時間をかけて作成することになる。
(なのでアップロードタスクの場合、提出できない)
この科目、何せ、宣言や条約、誰が何を言った、どの国がそれが気に食わないなど、ちょっと訳が分からない。
共同体の、ECSC やECC 、EDC なども何が何だかこんがらがってるので、その辺に特化した情報を頭の整理、また備忘録として以下に記す。
欧州統合への過程は政治的・経済的・軍事的統合の試みがある。
初期の欧州統合思想(宣言・スピーチなど)
以下より前時代にも、欧州統合の思想があるが、そちらの情報は割愛する。
1941 ヴェントネーテ宣言
(The Manifesto of Ventotene/Altiero Spinelli e Ernesto Rossi)
Towards a Free and United Europe
第二次世界大戦中にファシズムに反対して投獄されていたアルティエロ・スピネッリとエルネスト・ロッシが1941年に執筆した政治的文書。
戦後ヨーロッパの再建に向けた連邦主義的構想を提示。
「自由で統一されたヨーロッパ」の実現を目指す。
ー国家主義の克服と社会改革ー
・欧州連邦の創設:国家主権を超えた超国家的(supranational)な連邦体制を構築
→ 戦争の再発防止、持続可能な平和
・ 社会改革の必要性:自由と平等を基盤とした社会制度への転換
→ 経済的不平等や社会的抑圧の克服を重視
・反国家主義・反帝国主義:国家・資本主義的帝国主義が戦争と全体主義を生み出した
→ 国際協調と民主主義の強化
1946 SEP チャーチルスピーチ(チューリッヒ)
欧州合衆国(United States of Europe)」の構想を呼びかけ
・欧州の悲劇と混乱
・国家主義の批判
欧州の度重なる戦争は、国家主義と帝国主義の台頭による → 防止策
→ 欧州合衆国(United States of Europe)
・市民の意志と道徳的責任
・歴史的文脈と前例
→ 国際連盟(League of Nations)の失敗
1947 JUN マーシャルスピーチ(Marchall Plan)
European Recovery Programme(ERP)
→ Committee on European Economic Cooperation(CEEC)16か国
※ ソ連と東欧諸国は参加を拒否
1948 APR Organisation for European Economic Cooperation(OEEC)18か国
・理事会(Council of ministers)
・欧州決済同盟(European Payment Union)
・委員会(Committees)
→ 1961年に OECD へ
1948 MAY チャーチルスピーチ(ハーグ)
欧州会議(Congress of Europe)、戦後の欧州統合と平和の必要性を訴えた
・ヨーロッパの再建と統合の呼びかけ
単なる経済復興ではなく、政治的・道徳的な連帯が必要
・欧州家族の概念
→ 共通の文化と価値を持ち団結
→ 自由・法の支配・人権の尊重を共有
・欧州評議会の創設提案(Council of Europe)
→ 欧州連合(EU)の思想的基盤の1つ
・市民の役割と責任
政治家だけでなく市民一人ひとりの意志と努力が必要 → 道徳的使命
・国境を越えた協力
※チャーチルはスピーチで、米国・ソ連と共に、英国を ’欧州の友人’ と表現し、欧州統合に英国を含めていない。
1950 MAY シューマン宣言(Schuman Declaration)
フランス外相ロベール・シューマンの声明。
仏、西独、ベネルクスが共通の高等機関(a common High Authority)の設置
石炭・鉄鋼産業を共同管理 → 戦争回避
・経済圏の統合(石炭・鉄鋼の共通市場)と拡大
・就業率と生活水準の向上
・平和維持
※究極的にはカルテルの一種
1950 SEP 米国務長官ディーン・アチソン(American Proposal:Dean Acheson)
西独の再軍備を要求(NATO加盟を意識) ← 朝鮮戦争(同年6月~)の影響
⇔ 仏は反発 → EDC構想へ
東独は人民警察(武装警察)を組織しソ連軍も駐留 ⇔ 西側への脅威(北朝鮮の例)
1950 コンラート・アデナウナー(Konrad Adenauer):西独の初代連邦首相
再軍備案に賛成
※西独の主権回復、国際政治への復帰、欧州統合のために再軍備が必要という立場
1950 OCT プレヴァンプラン(Pleven Plan):仏首相
EDC(European Defence Community)構想 → ※ EPCと共に失敗(モネの辞任へ)
超国家的(supranationalism)な統治構造により、仏の懸念である西独再軍備に対する懸念を軽減
→ 欧州軍(European Army:under joint control)の創設
組織図:出典 The European Defence Community
・仏の国益
→主権移譲の含有、独再軍備の警戒感
・シューマン政策
→斬新的統合からかけ離れた統合
・経済と外交
→軍事支出拡大への懸念、仏主導安全保障の思惑と米国依存不安
・ピエール・マンデス・フランス(Pierre Mendès France):首相
→議会に委ね、否決
European Coal and Steel Community (ECSC) 発足
1951 APR 欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立条約署名
1952 JLY 発行(Treaty establishing the European Coal and Steel Community)
仏、西独、伊、ベネルクス3国
・High Authority:執行・監督機関。ジャン・モネが初代議長
・Council of Ministers:9members 政策調整機関
・Assembly:民主的監視(各国議会から選出された議員で構成)
・Consultative Committee:78 members
・Court of Justice
→ 加盟国間で対象製品の関税・数量制限を撤廃(石炭・鉄鋼分野に限る)
その他、価格操作やカルテルの監視、国家補助の制限、労働者の域内移動の促進
1953 ベイエンプラン(Beyen plan)
Johan Willem Beyen(蘭の外務大臣)による欧州経済統合の構想。
Common market、超国家的
1954 OCT パリ協定
西独の主権回復、再軍備、NATOへの加盟の承認
1955 ザール住民投票 → 1957にザールは西独帰属となる
1955 JUN メッシーナ会議(Messina Conference)
仏、西独、伊、ベルギー、蘭、ルクセンブルク
EDC 構想の失敗を受け、新たな統合の方向性を模索
・René Mayer (仏の政治家): New president for the High Authority
・更なる経済統合
・原子力協力の推進
仏:原子力開発の主導権、農業保護、超国家的統合への慎重姿勢(主権保持)
西独:経済復興と国際的信頼回復、欧州市場へのアクセス、政治的再統合への期待
伊:経済近代化と南北格差是正、欧州市場への統合による産業振興
Setting up of Spaak Committee
英国の不参加理由:
経済:コモンウェルス諸国との貿易を優先。関税同盟には消極的。
政治:欧州大陸の統合を「外から支援」する立場。内部参加は避ける。
統合:超国家的統合に懐疑的
その他:英国内産業の保護政策
global influence( worldwide economic political interests)
※ 1954から associate member
1956 JUN スパーク報告書(Report of Spaak Committee)
欧州統合の基本設計書(仏・西独・伊・蘭・白・ルク)
委員長:ベルギー外相ポール・アンリ・スパーク(Paul-Henri Spaak)
1956 MAY ヴェニス会議(Venice Conference)
Spaak報告を新条約交渉の基礎文書として採択
原子力協力に関して:
→ 1950s には比較的浅い分野で政治的・経済的結びつきが弱い、信頼性の欠如、
軍事転用 ⇄ 平和利用(いずれの分野の発展も、もう一方の発展を意味する)
仏:原子力技術の主導権確保
西独:構想に慎重(主権制約の面)※そもそも独は平和利用に限定の制約あり
伊:産業近代化に期待
ベルギー:平和利用に賛成
蘭:支持
ルク:小国としての技術支援へ期待
→ ウラン資源を公平に分配・共同管理に関する制度の検討
1956 OCT Suez Crisis(エジプトのナセル大統領がスエズ運河国有化宣言)
→ 英仏出兵、イスラエルがシナイ半島へ侵攻(英国はスエズ運河会社の株主)
※ 仏は中東石油への依存と米国主導体制に限界を感じ、欧州統合に集中していく
1956 & 1957 ブリュッセル会議(Brussels Conference)
欧州経済共同体(EEC)および EURATOM 設立の最終段階
仏:農業保護、原子力開発主導権、独の工業力への対抗
西独:工業輸出市場の拡大、関税撤廃による製造業の競争
伊:南部開発、輸出市場拡大
ベルギー:鉱工業・植民地資源、コンゴ利権(ウラン)
蘭:自由貿易・物流
ルク:金融・鉄鋼
※ 西独はEECが域内市場優先の保護貿易体制を取ると、西独が依存しているラテンアメリカとの輸入関係が阻害されるのではないかと考えた。
→ 仏やベルギーは、自国のアフリカ植民地を特恵貿易圏(Associated Overseas Territories)としてEECと結びつけようとした
European Economic Community (ECC) 発足
1957 MAR ローマ条約(the Rome Treaty)
欧州共同体(EEC)設立
欧州原子力共同体(EURATOM)設立
ベルギー、仏、伊、ルクセンブルグ、蘭、西独
・加盟国間の関税を撤廃、共通市場を創設
・人、物、サービス、資本の自由な移動を促進
・経済統合を通じて戦争の再発を防ぐ
主要機関
Charles de Gaulle (シャルル・ド・ゴール)政権発足
THE GOLDEN AGE OF EEC - Successes and Conflicts -
1954 Algerian War(アルジェリア独立戦争)
⇄ 仏の Fourth Republic(第四共和政)は不安定(21回内閣が変わる)
FLN(民族解放戦線) ⚔ Pieds-noirs(ピエ・ノワール)らによるテロの応酬
(内戦の様相を呈す)
↓
仏本国は独立承認に傾く
1958 The Hallstein Commission(s) (ハルシュタイン委員会)発足
→ 2期:1958 - '62, 1962 - '67
College of Commissioners(委員会)はその道の専門やそうでないメンバー様々
3~4のワーキンググループで討議と意思決定、集団責任を負う
関税を撤廃し、共通税制の導入
1958 MAY 現地仏軍とピエ・ノワールがパリ政府へ圧力(クーデターを示唆)
→ ド・ゴールの復帰を要求
1958 ド・ゴール大統領誕生、新憲法を国民投票で承認
(一旦首相に就任し、憲法を変更)
→ 第五共和制の発足
※ 以降、ド・ゴールは EEC/EC に政治的影響力を保つ
→ 仏の国益保護、栄光のために欧州が必要であり、
・超国家主義色の排除
・二極世界(bipolar Cold War system)からの脱却
・欧州が自律した第3の列強となる(米国と距離を取る)
・仏主導のもとの欧州連合
→ 核に注力 → 1960年:アルジェリアで核実験
1961 Fouchet Plans(フーシェ計画)
→ 仏外交官フーシェによる、ド・ゴールの意向を反映したプラン
・Council
・Secretariat
・Four permanent intergovernmental committees
・Assembly
※ 1961年はドラフトプラン、1962年に以下の点から各国から拒否される
・仏の要求が色濃い
・NATOと競合関係
・超国家性が排除
1963 Elysée Treaty(エリゼ条約)
→ 仏・西独の二国間有効協定条約(西独:Adenauer アデナウアー)
仏:政治的協力 → 仏・西独協調により英米軸に対抗
西独:経済的協力 → 経済復興と拡大、国際信頼性の獲得、米国との協調
↓
ド・ゴールの英米軸への対抗の思惑と、西独の米国連携との意思がぶつかる
※ Culture、Education、Youth、Defence の広い分野に協力は及んだ
1965 Merger Treaty(合併条約)
→ ECSC、EEC、EURATOMの執行機関を統合(理事会と委員会)
1965 Empty Chair Crisis(空席危機)~1966年
→ ド・ゴールが EEC 閣僚理事会から仏代表を引き上げ、共同体の意思決定を麻痺
委員長:Wlater Hallstein(ヴァルハー・ハルシュタイン)
・CAP(共通農業政策)の資金制度改革(EECによる一元管理)
・EEC独自の財源の確保(国家からの依存を減らす)
・欧州議会の権限拡大(超国家的民主主義の確立)
↓
ド・ゴールは国家主権の侵害として強く反発し、空席危機発生
※CAP(Common Agricultural Policy)の目的:
・供給の確保
・生産性の向上
・農業コミュニティの公正な生活水準の確保
・農業市場の安定
・適正価格を消費者へ提供(安価なわけではない)
Sicco Mansholt(シッコ・マンスホルト):CAPの制度設計、農業の構造改革、環境配慮
※ 彼は蘭人
共通価格、内部介入価格、輸出補助金、輸入税
1966 Luxembourg Compromise(ルクセンブルク妥協)
加盟国は「重大な国家利益が関わる場合は、議決を延期し協議を続ける」という暗黙の合意に達する
事実上の拒否権(veto)が各国に認められることとなり、フランスは復帰
※ ド・ゴールは、多数決導入に反対し、全会一致原則の維持を要求
※ 上述の3つの項目は1970s~1980sに徐々に制度化される
1968 Customs Union(EEC 関税同盟)
→ 加盟6か国の地域内関税を完全撤廃、共通対外関税を導入
※ 集中的経済成長:失業率の低下、低いインフレ率、収入の増加、人口増加
以上、まとめ終わり。
次週は秋休みで、その翌週がプレゼンなので、それの作成・準備に注力する。



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