2025/11/08

チャイナスタディ4

 写真:ハンガリーの缶コーヒーはとても甘い



毎週水曜の「文明の歴史」講義のトピックが中国で、秋休み前の講義が講師の都合で延期になった振替クラスが、金曜の朝イチに、その中国の続きが2コマ入った。

加えて、中国研究中国語の授業を取っているので、今週は中国ずくしだった。


月曜:中国語1コマ

火曜:中国研究1コマ

水曜:中国文明2コマ、中国語1コマ

金曜:中国文明2コマ


どんだけ中国好きなんだ。我喜欢中国って感じ。

以下、5~6週の講義内容のまとめ。



鄧小平時代(The Deng Era)


The Reform and Opening-Up(改革開放政策)

Deng Xiaoping (鄧小平)、第2世代共産党指導者の台頭と功績:

・1979年からの社会・経済変革

・冷戦終結と天安門事件(Tiananmen incident)

・鄧小平の外交


1977年 Boluan Fanzheng(Eliminating chaos and returning to normal)

 → 文化大革命の失敗を清算し、正常な状態へ戻す


1978年 The Reform and Opening-Up(改革開放政策)

 → Socialism with Chinese characteristic


※ 開放政策前の中国経済はソ連型CAD方式に従う(Comparative Advantage-Defying:比較優位に逆らう)

 → 国家の強みを無視し、重工業に集中、強制的な工業化を推し進めた

 → しかし、中国は資本の欠けた貧しい、農業国


中国の強みとは?

・低賃金かつ教育水準のある労働力

※ 教育水準とは、識字率の高かったこと、基礎教育が全国一律だったこと

 → labour intensive sector(労働集約型産業):織物産業など、機械より労働者が多く必要な産業が強み


1978年 経済政策を、中央計画式から発展途上国式へ変更

 → その後30年、年間 GDP 成長率は平均で9.5%となった


The Four Modernisation(四現代化)

・農業、工業、国防、科学技術を近代化政策の重点分野に





開放政策の2段階


1978 - 1984

Decollectivisation(集団化の解体)

→ Household Responsibility System(過程連産承包責任制)

 ※ 集団所有・共同作業から個人や家族単位の所有・生産に戻したことによりインセンティブが生まれ、生産性が急上昇


Dual Price System(二重価格制)

→ 計画内の生産分は国家価格、超過分は市場価格で販売可能

→ 余剰生産を市場で処理できる、生産インセンティブの発生


Industrial Responsibility System(工業責任制)

→ 企業に自主権を付与


Open Door Policy(開放政策)

→ 外国直接投資受入れ(FDI)、経済特区設置(SEZs)、貿易自由化

※ SEZsは沿岸部の地域、海外貿易の9割以上は船便のため → 莫大なFDI流入


1984 - 1993

Gradual Liberalisation(斬新的自由化)

→ 社会主義計画経済から市場経済要素の導入


Dismantiling of the state sector(国営部門の縮小)


Decentralisation(地方分権化)


価格制御の緩和、腐敗の拡大とインフレ、上海為替市場を再開放


※ 私有財産が認められた SEZs でうまくいったものを地方レベルから取り入れ試行錯誤

→ 斬新的アプローチ


1993 - 2005 3段階目

天安門事件のあとに鄧小平は南方視察

Mass Privatisation(大規模民営化)

WTO加盟申請、関税引き下げ

生産性強化、解雇・倒産(共産主義では発生しない)


中国の戸籍制度、Hukou System は農村戸籍(rural hukou)と都市戸籍(urban hukou)があり、生まれで決まる。


大量の農民工(rural migrant workers)が出現し、農村部から都市部への人口の移動が発生

そのため、

・農村部の子どもは祖父母に育てられた(両親は東方へ出稼ぎで年に2回帰省)

・2.5億人が年2回、行ったり来たりした


※ 1980年から2010年までに貧困は減少したが、格差(ジニ係数)は悪化(都市 vs 農村)

→ 地域別で見ると、東海岸線の地域に富が偏る




天安門事件(1989)


Hu Yaobang(胡耀邦):1982 - 1987 党中央委員会総書記(General Secretary)

 → 1989年4月に急死すると、弔意が民衆・学生運動へと発展

インフレ、希望の無さ、腐敗、言論や出版の自由の欠如などへの不満が相まって、天安門広場に民衆・学生が集まる


5月20日 戒厳令(martial law)が布告され、都市部出身者ではない30万の軍人が配備される(広場の民衆と立場の違う者であることが重要)

6月3~4日 広場からの暴力的排除


天安門事件は中国国内ではいまだに教えられない、検索もできない

正確な死者数は未だに不明





鄧小平の外交


中国語4文字x6センテンス、その24文字の中身は:

Observe calmly

Secure our position

Cope with affairs calmly

Hide our capacities and bide our time

be good at maintaining a low profile

never claim leadership

 → 中国は好ましくない輪の中に置かれていることを知っていた

 ※ グローバリゼーションには非常に興味があった


中国にとって良いことはソ連が崩壊したこと、代わりに良くないことは米国がそれで覇権を握ったこと

当時の米国はネオリベラリズムが大勢であり、中国を敵国としては見ていなかった。

中国を米国のようにできると見ていた。



以上、講義スライド、講義メモ、ChatGPTによる補足でまとめた。


0 件のコメント:

コメントを投稿

セメスター4 前半戦終了

  写真:プレゼントした日本酒のお返しのスパークリングワイン ウクライナボーイにお呼ばれして、彼の友達(ロシア人)の家で宅飲みをした。 昨年末にもお邪魔した のだが、今回はスタートがそもそも 15:00 時で、エンドレスじゃなかったので、気楽に参加できた。 この日はインテシブウィ...