写真:突然アップロードされた期末試験情報
今期、講堂での授業は2人のロシア人(1人は50代のマダム、もう一人は10代の男の子)に挟まれて授業を受けるパターンがほとんどなのだが、そのマダムから先週末情報が飛んできた。
※ この2人は私と専門も同じである
「欧州統合の期末試験情報が密かにアップされてる」
えっ?マジ?と思いながらプラットフォームを確認すると、
54個の Definitions ワードと、23個のエッセイトピック。
「多すぎ」
と返事しておいた。
しかも、アルファベット順に並んでおり、「時代別に並べてくれよ」と思った。
冒頭の写真がそのリストの一部だが、例えば BBQ について聞かれたら、もちろんビーチやキャンプ場で炭に火を入れることを説明するのではなく、British Budgetary Question について説明しなければならない。
英国首相サッチャーがわーわー騒いだ前出の話題だ。
まあしょうがない、50点くらいは取れるよう頑張るしかない。
以下、先週、第10週の講義まとめと、毎週の小テスト現況はラストに記載。
東西関係
Neue Ostpolitik(新東方政策)(1969~1974頃)
戦後の西ドイツは東独を国家として認めない(ハルシュタイン原則)立場
西独の首相ヴィリー・ブラントは対東欧宥和政策へ
・東独やソ連・東欧諸国との関係改善
・冷戦で固定化された東西対立をゆるめ、最終的に独統一の可能性を広げる
・緊張管理と現実的な接近(理念より実務)
1972年 基本条約:東西独相互承認、国連加盟へ
Détente(緊張緩和)
米ソを含む国際的な緊張緩和の潮流(1960年代後半〜1970年代)
EC と COMECON(Council for Mutual Economic Assistance:経済相互援助会議)
※ COMECON:ソ連中心の東側の経済協力機構
マーシャル・プラン → OEEC → EEC(1957)→ ECに対抗する形で、ソ連による設立(1949)から政治的ライバル関係。
経済的には非対称であり、冷戦終結後には東欧諸国はECへ流れる。
COCOM list - 商業的障壁
冷戦期に西側諸国が社会主義圏への輸出を制限した戦略物資・技術の禁輸リスト
※ リスト品の東側輸出には事前審査・許可が必要
1949年設立(NATO諸国+日本)
軍事転用可能な技術を東側(ソ連・東欧・中国など)に渡さないことが主目的
※ 東芝機械事件で日本は違反し怒られる
そもそも、東側は計画経済なので、価格は市場によって決まらないため、西側と基準が違いすぎることも商業的障壁(commercial barriers)となった。
1982年 GATT閣僚会議(GATT Ministerial Meeting)
※ GATT:General Agreement on Tariffs and Trade
ハンガリーからECへ非公式の二国間合意の提案
・ハンガリー製品輸入の関税撤廃
・西側製品の輸入希望
・ハンガリーは西側通過(ドル・マルク)での取引希望
→ これはスタート地点で、実際の正式化は1988年まで待つこととなる
ゴルバチョフ(Gorbachev)と政策(1985~1991)
・軍縮
・ペレストロイカ、グラスノチ
→ ペレストロイカにより市場原理導入、グラスノチにより政府の情報公開
・中央集権体制の弱体化
1988年 EC–COMECON Joint Statement(共同声明)
冷戦末期における EC と COMECON の関係改善・経済協力促進枠組み文書
→ 経済・技術・貿易・金融・政治の幅広い協力を促進
1988年6月 Hungary and EC Trade and Cooperation Agreement
・ハンガリーと EC の間で結ばれた初の公式貿易協定
・貿易自由化・関税引き下げ、農産物・工業製品の相互取引拡大
・技術協力・投資促進、EC市場へのアクセス改善
・COMECON・ソ連の承認のもとで段階的に実施
1989年 元日 外交関係樹立(ハンガリーEC間)
EC駐在大使 dr. Endre Juhász
冷戦終結
1989年 共産主義体制崩壊(Fall of communist regimes in 1989)
ポーランド、ハンガリー、東独、チェコスロバキア、ブルガリア、(ルーマニア)
1989年 ベルリンの壁崩壊(Fall of Berlin Wall)
→ 東西独統一へ
1990年 東西独統一
→ ソ連の承認
統一による影響:
これまで西欧州中心(仏、独西部、ベネルクスなど)だったのが、東西特統一により、地理的重心が独へ移動(geographical centre of the EC shifted to Germany)。
EC の重心が東へシフトしたことで東方拡大の流れへ寄与。
独はECのエンジンと化したが、
・統一コスト負担増により、独のEC内での実質負担減、不公平となる恐れ
・独がEC内最大の経済力・人口をもつことになり、その影響力拡大の懸念
なども加盟国内で持ち上がった。
PHARE(Poland and Hungary Assistance for the Reconstruction of the Economy)
→ 中・東欧諸国の経済改革・市場経済移行支援プログラム
・市場経済化・民間部門育成・法制度整備が急務
・ECは経済的安定と西側市場への接近を支援
supporting economic and social reform
→ Asymmetry Treaty(非対称条約)の性格を持つ支援制度
The provider(支援者) ⇄ the beneficiary(受益者)
Association/ European Agreements
CEEC:Central and Eastern European Countries(二国間協定)
ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、チェコ、スロバキア、エストニア、ラトビア、リトアニア、スロベニアと署名。
・工業製品の自由化
・法律制度整備
・政治関係強化、EU加盟準備
Euphoria(ユーフォリア)→ 落胆へ
ユーフォリア:1989~1990年前後の東欧革命や冷戦終結に伴う楽観的・高揚的なムード
・自由化によるインフレ
・国営企業の倒産、大量失業
・EC貿易の非対称性が露呈
・国内行政の対策大(加盟準備困難)
・財政負担の恐れ(西側)
・湾岸戦争、ユーゴ紛争(ECは適切な反応を示せず)→ 不景気
※ 英国のインフレ率と成長率は1989~1991年でピークに
The birth of Treaty on EU/ Treaty of Maastricht
議論対象:
・欧州の未来
連邦制(federation)or 政府間制(intergovernmentalism)
・環境変更
ECの深化(deepening)or 拡大(enlargement)
※ 英国は拡大志向(連邦制と深化を遅らせたいため)
→ ECは deepening に集中
1991年 マーストリヒト条約(Maastricht Treaty)
※ ドラフト案
1992年 署名
1993年 施行
名称が European Union となる。
2つの柱:
・EMU(Economic and Monetary Union)
→ ユーロ導入、経済安定
・Political Union(政治統合)
→ 外交・安全保障・法制度統合
EMU発展背景:
1987年 Basel–Nyborg Agreement(バーゼル–ニューボルグ合意)
→ 為替相場の変動とドル高・円高問題に直面 → 通貨安定メカニズムの必要性(ERM)
※ REM:European Exchange Rate Mechanism
1988年 Balladur Memorandum(バラデュール覚書)
→ 仏の財務大臣バラデュールによる通貨統合にむけた段階的アプローチと対独協調
1988年 European Council in Hannover(ハノーファー欧州理事会)
→ 欧州統合・通貨統合の具体的ステップが議論
1989年 European Council in Madrid(マドリード欧州理事会)
→ EMU第一段階を正式に決定
1990年 Intergovernmental Conference of EMU(欧州通貨統合政府間会議)
→ EMUの第二・三段階の制度設計
Delors Committee(ドゥロール委員会)
→ ECが設置した欧州通貨統合の専門委員会
メンバー:各国中央銀行総裁・財務当局者中心、欧州委員会幹部(12か国)
・資本移動自由化・為替安定
・政策調整・ERM強化
・単一通貨
英国の立場:
・1990年 John Major が首相
・以前と政府の立場は変わらない
・EMUには参加しない
・協力的でない
その他の国:
独蘭:Single-Centre(Pair)
→ ドイツマルクに追随し安定ペアを形成
例:マルク高・安に合わせて蘭ギルダーも直接市場介入で調整
※ 2国間通過交換レートの安定が欧州全体の為替安定に寄与
仏伊:Multi-Centre(+ベルギー、スペイン)
→ 単独で安定を供給できないため、複数国で協調
例:仏フランが下落すると、各国がフランを買い支え
※ 仏や伊は、蘭ほど経済規模が小さくないため、追随型は不適
EMU
マーストリヒト条約:single and stable currency
Single:単一欧州通貨
Stable:独立中央銀行
仏:共通通貨形成で影響を持ちたい
独:新通貨の信頼性と安定性
→ EMI(European Monetary Institute:欧州通貨研究所)の設置
※ 単一通貨(ユーロ)導入に向けた準備(英国はEMU参加せずポンド維持)
1990~1994年 第一段階
・資本移動自由化、ECU利用、為替レート安定を目指す
・単一市場の完了
・Convergence Criteria(価格安定、加盟国財政安定、為替安定、長期金利)
1.Price stability
インフレ率が安定している加盟上位3か国の平均値より1.5%未満とする
(must not exceed by more than 1.5% that of the three best-performing Member States)
2.Maintaining the monetary stability of the member states
年間の対GDP比の財政赤字は3%未満、対GDP比の政府累積債務は60%未満
(annual government deficit to GDP must not exceed 3%/ ratio of gross government debt to GDP must not exceed 60%)
3.Exchange rate stability
・2年間、ERMに途切れずに参加(without any break during two years)
・大きな為替変動を起こさない(without severe tensions)
・自国判断で通貨安を行わない(must not have devalued its currency)
4.Long-term interest rates
長期名目金利は良好な上位3か国の平均より2%以内
(must not exceed by more than 2% that of the three best-performing Member States in terms of price stability)
1994~1999年 第二段階
EMI → 欧州中央銀行制度設計開始 → 加盟国経済の収束 → EMU参加国
→ 1998年6月 欧州中央銀行発足
1999年 第三段階
・Irrevocable fixing of conversion rates(不可逆的な換算レートの固定)
→ ユーロ導入に際して各国通貨とユーロの交換レートを固定し不可逆とした
・11か国に実通貨としてのユーロ導入
・ERM II(Entry into effect of the intra-EU exchange rate mechanism)
→ ユーロ導入前に加盟国の通貨をユーロと一定幅で安定させる仕組み
※ 通常±15%で変動を許容、2年以上の安定を確認
・EU財政規律ルールの正式発効
→ Stability and Growth Pact(SGP)
※ マーストリヒト条約の基準(赤字3%、債務60%)遵守の運用ルール
Political Union
Belgian proposal
・1990年春
・Common foreign and security policy
・Reform of institutions(EP:欧州議会)
Kohl - Mitterrand initiative
・統合の民主的正当性
・EC諸機関の効率性向上
・一貫性のある社会経済政策
・共通の外交・安全保障政策の策定
独、ベルギー、蘭、伊:EPの強化
ほぼすべての加盟国:共通外交政策(英国は反対)
英、デンマーク、ポルトガル、アイルランド:共通安全保障に反対
創設国にとって重要:社会政策
南方諸国に重要:地域政策(Reigional policy)
英、デンマーク:複数の政策提案・制度に参加拒否(ユーロ、ERM、SGPなど)
※ 超国家的性格を持つ政策を英国とデンマークは嫌った
1991年 6月 Luxembourg
連邦制をめぐる論争 ⇄ 国家主権保持を重視
ベルギー、蘭:小国で連邦化志向、QMVで発言力維持
西、仏、独:統合に慎重(特に仏は国家主権重視)
英:国家主権重視、連邦化反対、通貨統合に慎重
QMV(Qualified Mahority Voting)の拡大案
意思決定を迅速化、小国にも影響力、英国は反対
蘭の立場:
Structure of organic unity:EUは連合ではなく、制度的にまとまった統合体であるべき
Social policy:EU内での社会政策の共通基準・調整を重視
→ 1966年のルクセンブルク妥協に続く妥協となった
EU の3つの柱:
European Community
Common Foreign & Security Policy
Justice and Home Affairs
各国の批准(Ratification)
デンマーク:住民投票 - NO(1992年7月) → キャンペーン
仏、アイルランド:住民投票(Referendum)- YES
独:YES
英:デンマークの2回目の住民投票待ち
デンマーク:YES(1993年3月)
- Edinburgh Agreement(1992年12月)-
EU首脳会議にて デンマークの懸念に対応する4つのOpt-out(免除) が認められた
① 通貨同盟からの恒久的な不参加:デンマークはユーロ導入義務なし
② 共通防衛政策の不参加:欧州防衛・軍事協力(CFSPの軍事面)不参加
③ 欧州市民権の制限:EU市民権はデンマークの国民ドメスティック法を上書きしない
④ 司法・内務(Justice and Home Affairs)分野の自由裁量
英:YES
→ Treaty of European Union 1993年11月 施行
※ デンマークが当初 NO だった主因
1. 主権喪失への強い懸念
2. 経済通貨統合への不信
3. 社会政策(社会保障・労働政策)のEU化への反発
4. ボーダーフリーによる治安・移民、独の影響懸念
5. EUの民主的正統性問題
6. 必要性が理解されなかった
7. 小国デンマークが大国主導のEUに飲み込まれる懸念
小テスト
写真:今週もパスできた
今週のセミナーの結果を追加した、合格状況は以下。
第1週:初週のためテストなし
第2週:合格 (3/5 点 - Kahoot! による選択問題)
第3週:不合格 (2/5 点 - Kahoot! による選択問題)
第4週:合格 (記述・用紙は未返却)
第5週:不合格 (記述・用紙は未返却)
第6週:合格 (4/5 点 - Kahoot! による選択問題)
第7週:合格 (4/5点 - Kahoot! による選択問題)
第8週:不合格(記述・用紙は未返却)
第9週:合格 (4/5点 - Kahoot! による選択問題)
第10週:合格 (5/5点 - Kahoot!による選択問題)
第11週:合格 (4/5点 - Kahoot! による選択問題) ← 今回
、
今回は選択問題(四肢択一)にしてはいつもより難しかった気がする。
が、私が唯一間違えた問題は5問の中で一番簡単だったらしく、出席者の中で、誤答は私のみだった。
それ以外の問題は、生徒間の回答がかなり割れていた。(ということは難しかったと)
その後、パス状況一覧を表示されたが、先週の時点で無欠席は私ともう一人だけだった。
にもかかわらず、残念ながらその一人は6回パスをクリアできていない。
救済措置については、来週何時にどこどこへ集合、という指示があった。
生徒プレゼンは全員完了しているため、本日のセミナーではグループワークがあった。
2つの文献が与えられ、2つの質問に対してチームで2分程度にまとめなさい、というものだ。制限時間10分。
トピック該当箇所を見つけて読むだけでも10分なんて、母語でも無理だと思うのだが、グループワークの意図が不明だ。なかなか苦痛な時間である。
当然みな、AIツールを使用することになるので、それなら宿題にしてくれた方がよっぽど勉強になると思うのだが。
そんな耐え難きを耐えることもあった、講義+セミナー(プレゼン・小テスト・グループワーク)のセットも、いよいよ来週で最後である。
両クラスとも朝イチの時間設定にも関わらず、体調不良も起こさず、皆勤できそうで良かった良かった。
そして、先にアップロードされていた資料と合わせて、期末テストの説明があったが、用語の定義を説明を課せられるものが10問(合計30点)と、用紙半分程度のエッセイ系が1問+3問(合計10点+60点)という感じだそうだ。
この期末試験の100点は、60点に圧縮され、プレゼン30点とクラスパティシペーションの10点と合算され評価される。
ちなみに期末試験で50%に達しないと足切りが発生する。(落単)
今後のおおまかなテスト予定は、
今週か来週中:国際法
来週:欧州統合(小テスト)、中国研究、文明の歴史
再来週(試験期間1週目):歴史、米国外交政策、欧州統合、(中国研究)、国際法
なかなか目白押しだ。

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